『考察』の文章に「~示唆された。」を多用【看護研究あるある(13)】
連載No.12では、特段意味なく使ってしまいがちな「~したところ」「~としては」「~について」を多用しないようにすると、研究の論文や抄録等の文章のクオリティーを上げられることを紹介しました。
今回は、探せば探すほど目につく【受け身の動詞】「~示唆された。」を取り上げます。
筆者は、大学院在学中から現在に至るまでの30年弱の間、数多くの研究発表資料、抄録、論文等の添削や助言をする中、「~示唆された」という表現にかなりの頻度で遭遇しました。そして、その都度、別の表現に書き換えるように助言してきました。
「~示唆された」と書いて何がいけないのか?と思う方も多いと思いますので、開設します。
まず、一度、「~示唆された」とはどういう意味か?、考えてみましょう。
Aさんも、Bさんも、"示している(示す)"に自身の推測を加えたニュアンスだと考えるようです。
筆者も、ほぼ同じでして、「~示唆された」を言い換えると、
"(断定はできないが、)この結果(データ)から・・・と考えることもできる"
"(断定はできないが、)この結果(データ)は・・・ということを意味していると思う"
"(明確には言えないが、)この結果(データ)は・・・ということを示しているようだ"
といったところだろうと考えます。
念のため、『示唆』の意味を、何種類かの国語辞典で調べると、
- それとなく気づかせること。
- ほのめかすこと。
- それとなく物事を示し教えること。
と説明されています。
文法を確認しますと、
動詞「示唆する」に受け身の助動詞「れる」をつけた形が「~示唆される」です。
結果自体が考察的内容を語ることはありません。推論したのは研究者です。
であるならば、普通に
「結果〇は、△ということを示唆している。」
あるいは
「(私は、)結果〇は、△ということを示唆していると考える。」と記述すれば良いのです。
せっかく研究と題して、計画に基づいた実験・調査・面接等々の結果を集計したにも関わらず、その結果の解釈・考察を執筆する際に、曖昧なニュアンスを帯びた"示唆された"を用いてしまいますと、その文章の主語が研究者から結果(データ)に変わってしまいます。
「~示唆された」と書くことによって、
"こうも考えられますけれど、こうでないかもしれないです~"
"自分の分析ではなくデータが示していることですよ~"
と、研究結果が示すことや、結果に対する自身の解釈・分析の責任から逃げているかのような印象を与えてしまうことになってしまいます。
自身の考え等に「言い切っていいのかな?」「もしかして、この考え方は間違ってるかな?」と思うのは人の常ですが、そもそも不正確な内容は研究論文に書くべきではない訳です。
では、どんな文章が良いか?を、最後にまとめます。
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※今回、「~示唆された。」を取り上げましたが、同様の理由で、自身の考えを婉曲に表現する「思われる。」もアカデミックな表現とは言えないので、「~示唆された。」と同じように、多用しない、できれば用いない方が良いでしょう。
【看護研究あるある】
皆様は看護研究にどのようなイメージをもっていますか。この連載では、 "できればやりたくない"、"むずかしい"、"そもそも意味あるの?" "悩みでしかない"などと感じている皆様に親しみを感じていただけるように、あるあるネタの紹介を交えながら、看護研究に関連した四方山を論じます。
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PROFILE
奥田 三奈(おくだ・みな)
東京医科歯科大学医学系研究科修了(保健計画・管理学)、看護学博士、看護師、保健師
専門:健康科学、健康管理学、看護研究
主な研究領域:百寿者研究、健康づくりボランティアの普及に関わる調査、特殊作業従事者のコンディション維持やメンタルヘルスについての研究等